世界の海原で自然に学ぶということ

今回の対談には代表の古くからのお知り合いである栗原景太郎氏をお迎えいたしました。栗原氏は日本人で初めてヨットによる世界一周をした海洋冒険家です。もちろん今も現役の艇長としてレースにも出場する海の男。運命学とは縁遠そうな冒険のお話は、意外なほど共通項のあるものでした。

冒険は自然への挑戦?


代表:

もう長いおつきあいになりますから、今更・・・という感もありますが、うかがったこともなかったですから、必ずみなさんにお聞きしている事を質問させて下さい。運命学についてどう思われますか?

栗原:

僕は宗教には否定的なんですが、現実の世界だけではない何かの存在というのは信じているんですね。それは宇宙の存在のようなものかもしれないですが、何かの力に人はコントロールされていると考えてもいいかなと思っています。自分ではコントロールのきかないものと言ったらいいかな。例えば運の強さ、弱さというのは確実にあると感じてます。これは一年半かけて世界を周った中で実感しました。

代表:

世界一周には一年半かかっているんですね・・・・。やはりかなり危険な目にもあっているんでしょうか?

栗原:

まぁ、そうですね。マゼラン海峡というのは、やはり秘境といっていい所で、僕が挑戦する一ヶ月くらい前にも遭難したヨットがあったり、命がけの覚悟で向かうような難所です。もちろん、そういう場所以外にも嵐がきたり雷が落ちたりしますから、ダメかと思うような瞬間というのはあります。特に雷は本当に怖いんですよ。海の上では逃げようがないですから、それこそ運まかせです。

代表:

ご自分では運が強いと感じていらっしゃいますか?

栗原:

んー、そうですね。世界一周もその後も無事に陸に戻ってきてますから(笑)

代表:

少し、その航海のお話を聞かせてください。世界一周は確か白鴎号でしたね。

栗原:

そうです。昭和44年5月5日に出航しました。僕と大学時代からの友人の武田治郎と白瀬京子さんの三人。江ノ島から旅は始まりました。

代表:

白瀬さんは、南極探検で有名な白瀬中尉のご関係の方でしたよね。

栗原:

白瀬中尉の弟さんの孫にあたる方です。男二人とヨットで世界に出ようなんて本当にすごい人です。実僕の計画は一度ダメになってるんですよ。最初の計画の時に一緒に行くことになっていた友人が降りると言い出して・・・。資金面でも一人欠ければ負担は大きい。当時は大学を出て初任給が1万8千円という時代。航海に出るにはヨットの建造費だけで300万が必要だったので、一度は諦めたんです。そこに現れたのが白瀬さんでした。彼女はもうお亡くなりになったけど、本当に彼女には感謝しています。

司会:

ヨットはどのくらいの大きさだったんですか?

栗原:

長さ7.5メートルで幅は2.5メートル。寝るときなんて小さく丸まってなくちゃいけない・・・。

司会:

その上で一年半・・・・。怖すぎる・・・・。せめて前に乗せていただいたくらいの船じゃないと嵐が来たら翻弄されそう・・・・。

栗原:

ヨットというのは、非常に復元力があるんですよ。この時の設計は第一に復元力を重視したものになっていたし、滅多なことでは浸水したり沈没なんてことはないんです。

司会:

でも、一歩外は海ですからね・・・。常に死と隣り合わせ。冒険家の方って何故、無茶なこと(笑)したくなるんでしょう? やはり自然への挑戦??

栗原:

僕は自然に挑む・・・・なんてのはおこがましいと思ってますから、チャレンジというのとはちょっと違うな。自然と闘うなんてとんでもない、身をゆだねてます(笑)



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海洋冒険家
栗原 景太郎
[クリハラ ケイタロウ]
・昭和17年 東京生まれ。神戸商船大学航海学科卒業後、川崎汽船株式会社に入社。
・外国航路の航海士を勤めたのち、ヨット世界一周の準備の為に退社。
・昭和44年5月5日、江ノ島を出航し、昭和45年8月、日本人初小型ヨット白鴎号(25フィート)による世界周航達成。
・ヨットスクール校長、ハーバー開発などの仕事を歴任後、現在は、環境問題などに関わるボランティア活動に従事。
・社団法人 虹の会 参与 (株)ヒューマンエコ 取締役
著書
・白鴎号航海記
・フェニックス60の会編 還暦の風景 など
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